今日はバイアスについてです。
バイアスというと、小難しい議論に出てくることが多い言葉という印象があるかもしれませんが、ごく当たり前に誰にでもあるものです。

一言でいうと、バイアスとは「偏り」のことです。
もう少し噛み砕いた言い方をすると、「えこひいき」してしまうことですね。

例を上げつつ、見ていきましょう。

自前主義のバイアス

ダン・アリエリーというアメリカの研究者がこんな実験をしています。

ハーバード大学の学生会館に、折り紙ブースを作って学生に呼びかけました。
「折り紙で、ツルかカエルを作ってみないか」

難易度はどちらも同じくらいです。
ダンは学生に折り紙を折ってもらうと、彼らに自分が作った折り紙に値段をつけてもらいました。
その平均は23セント。

次に、学生たちが作った折り紙を、通りすがりの学生にも値付けしてもらいました。
彼らは、誰が作ったかもしれない折り紙に平均5セントの値段をつけたのです。

折り紙を作った本人と制作に無関係の人とでは、明確に差がつきました。
同じ折り紙ではありますが、作った本人たちははっきりと高い価値を感じたのです。

自分で手を動かして作ったものには愛着を感じ、他よりも高く評価してしまう。
これが「自前主義のバイアス」です。

これは何も制作物に限った話ではありません。
例えば、アイデアもそうです。
客観的に見れば平凡なアイデアであっても、自分が考えだしたアイデアというだけで愛着がわき、価値の高いと感じてしまうことがあります。
そして、似たようなアイデアでも、他人が考えついたものには冷たい評価をしてしまう。

人には誰でも、そういう傾向があるのです。

刷り込み現象と確証バイアス

数十年前、オーストリアのコンラート・ローレンツは、卵から孵ったばかりのヒナが、はじめて遭遇する動く物体に愛着を持つことを発見しました。
これが有名な「刷り込み」です。

この刷り込み現象、実は鳥のヒナにだけ見られる現象ではありません。
形を変えて、人でも同じような現象が起こります。

例えば、洋服です。
どの服がかっこいいのか、きれいなのか。生まれたばかりの私たちは、一切の基準を持ち合わせていません。
ところが、ある日「この服かっこいい」という情報に出会います。
多くの場合、最初は両親の意見でしょう。
そのとき、その意見・基準を自分のものとして取り込むのです。
一種の刷り込みです。

最初に刷り込まれた知識は、その人の中で重要な基準となります。
すると、その基準に合う情報は正しい、基準に合わない情報は間違っている、と判断を下せるようになります。
例えば、ジーパンがかっこいいと最初に刷り込まれたら、ジーパン以外はダサく見えてしまったりするのです。

この刷り込み現象は、誰でもいつでも起こり得ます。
その人の中で、評価の定まっていないものであれば、最初に接した情報が基準(アンカー)として刷り込まれるのです。

刷り込まれた情報は強力で、時に相反する情報は全て無視したり、軽く扱ったりしてしまいます。
「確証バイアス」です。
見たいものしか見ないというような状態のことです。

もちろん、何かのきっかけで情報が塗り替えられる可能性はあります。
例えば、スーツのかっこよさに気づくときも来るのです。

しかし、その時までは、強い基準として残りやすいことも事実です。

人は全員、色眼鏡をかけて世界を見ている

なぜこんなことを書くかというと、これが健康情報についても起こるからです。

人は、最初に得た情報を心のどこかでずっと信じています。
例えば、床に落ちたお菓子は3秒以内なら大丈夫だと根拠なく信じてしまっていたりします。
(実際には、落ちた瞬間に汚染されます)。

腰痛は骨や姿勢のせいなんじゃないか。
どれだけ科学的な情報を並べられても、頭ごなしに否定したくなってしまう。
頭にきたり、どなったり。
バックファイア効果といいますが、事実を突きつけられると逆に態度を硬化させてしまうことがあります。

私はときどき、記事の最後にこう書きます。
「ぜひ、ご自身の手で調べてみて下さい。」

私が全部答えを書いてもいいのですが、それは「他人の作った折り紙」でしかないかもしれません。
でも、自分で見つけ出した答えなら、刷り込まれた情報をくつがえすかもしれない。
余計なお世話かもしれませんが、そんなことを考えていたりします。

折り鶴