故障した車

ブログで腰痛のことを記事にすることが多いのは、腰痛を診る機会が最も多いということでもあります。日本の統計では、4~5人に1人が腰痛と推計されていて、増加傾向にあります。これは現在も根強い、腰痛を部品の故障として治療する医療が失敗している、ということでもあります。

腰痛は、構造的な問題ではない

カリエの痛みシリーズという本があります。おそらくは、私が鍼灸師になって最初に買った本です。その中の「腰痛症」を久しぶりにパラパラとページをめくってみたら、昔読んだときは全く違う印象を受けました。

過去に読んだときは、腰痛を知るにはこれだけ人体の構造を理解していないとダメなんだなと感じました。今読んだら、これで勉強したら腰痛の古い常識から抜け出すのは相当難しくなるだろうな、と感じました。腰痛を腰の構造から理解しようとしているからです。それは無理な話です。

腰はこんな構造になっていて、こういう姿勢を取るとここに負荷がかかる。つまり負荷が痛みを引き起こすという理論です。

1976年、ナッケムソンという人が姿勢によって腰へかかる負担がどう変わるかという研究を発表しました。姿勢によっては体重の倍以上の負荷がかかります。いかにも負荷をかけるのが悪そうに感じますが、いってみれば腰はそれだけの負荷に耐えられるという話でしかありません。後にナッケムソン本人が、腰への負荷は痛みに直結しないと否定しています。

誰でもそうですが、重いものを持ったり、上体を前に傾けると腰に負担がかかります。でも痛い人と痛くない人がいます。この違いを説明できない理論です。もしくは、構造に問題があるのに痛くない人がいることを説明できない理論です。

アメリカのジョン・E・サーノ博士の著書、ヒーリング・バックペインでは、腰痛は骨の構造的な問題ではないとしています。これは現在においても、腰痛の理解として正しいものだと思われます。

腰そのものより、心理社会的な要因の方がはるかに腰痛には関係します。心と体が関係しているのは当然の話です。

腰の部品を取り替えても、腰痛は治らない

患者さんの中に、「腰の悪いところをスプーンでくりっと取り出してほしい」という方がいます。腰を新しいのに交換したい、という方もいます。お気持ちとしては分かるのですが、それは根本解決ではありません。

攻殻機動隊というアニメがあります。そこでは全身を機械に入れ替えてしまえるという世界が描かれます。なんと脳すらも電脳というコンピューターに置き換えられますが、さて、その世界で腰痛はなくなるでしょうか。たぶん腰痛はなくならないと思います。

電脳が人の心や脳の働きを完璧に再現するのであれば、心理社会的要因、つまりストレスや悩みの種をなくすことはできません。そうなれば、痛覚を完全に遮断する以外に腰痛を止める方法はないでしょう。しかし、痛覚は生命が生き延びるために必須の感覚ですから、それがないと他の問題で長生きが難しくなるかもしれません。(機械だから死なないとか、外部に記憶のバックアップを残しておいて・・などマニアックな話はやめておきます。)

そこまでいかなくても将来的に、IPS細胞のような技術で、腰の筋肉を新品に入れ替えるということもあるかもしれません。文字通り、悪い部分を交換できるようになる可能性は否定できません。しかし、仮に実現したとしても心と体が切り離されるわけではありませんから、一旦は痛みが消えたとしても、やがて再発する可能性が残ります。いや、腰痛が長びいている人ほど再発のリスクは高まるでしょう。

治療の第一歩は会話です

医療者の心得に、「病気を見るな、病人を見ろ」というものがあります。痛みもまた、その人の問題であって、腰の問題ではありません。

腰痛の背景に何があるか探ろうとすると、会話が大切になります。私も鍼灸治療をしながら、色々な話をします。特に初回では時間がかかります。

鍼灸は治療法を確定するまでに多くの情報が必要になります。そのため多くの会話が必要になるわけですが、これが自然と腰痛治療にプラスになっている側面はあるでしょう。

病院のいわゆる3分診療では、腰痛を治すのは無理とはいいませんが、かなり不利な条件だと感じます。機械の部品交換のように、パッと問題点を見つけて、パッと交換して直るとはいきません。

痛みは部品の故障ではないからです。