鍼灸師は仕事柄、ストレスについて考えることが多くなります。様々な症状の根源にストレスがかかわってくるからです。
ストレスは、誰もが避けられないものですが、誰もが一様に苦しんでいるかというと、そうでもありません。同じような体験をしても、強いストレスを受ける人と、それほどでもない人がいます。
起きた出来事が仮に同じだとすると、その違いはどこから出てくるのでしょうか。一番大きいのは、解釈の違いです。起きた事実をどう受け取るかで、ストレスの強さが変わってくるのです。
例えば、嫌な言葉を浴びせられたとして、自分が悪いと思うか、相手が悪いと思うか。前者を内罰的、後者を外罰的といったりします。当然ながら、内罰的な傾向の強い人ほど、強いストレスを受けることになります。
こうした受け止め方は色々ありますが、おそらく一つの究極は仏教ではないでしょうか。仏教というと、輪廻転生や死後の世界などのイメージがあるかもしれませんが、他にも仏教は面白い考え方をします。
空の思想
ここで「空」という考え方をご紹介します。これは言ってしまうと、全部「気のせい」という境地です。別の表現をすれば「錯覚」です。全ては勘違いという考え方です。
自分が辛いのは錯覚。あの人が嫌な人に見えるのも錯覚。自分がダメな気がするのも錯覚。
いや、そもそも人がそこにいるというのが錯覚です。自分は自分が存在すると思っていますが、自分が間違いなく存在するという保証はどこにもありません。どこからどこまでが自分なのでしょう。肉体が自分でしょうか?
仮に肉体が自分だとしても、その構成要素は分子レベルで見れば驚くべき早さで入れ替わっています。食事をすれば、食品の分子は瞬く間に全身に広がりますし、それまで自分だった分子も次々と体から出ていきます。川を流れる水が一瞬ゆらめいて人の姿に見えたような、そのくらい人の存在は流動的で奇跡的です。
心にしても、その存在をはっきり確認することはできません。自分というものは、意識も含めて、あらゆる要素が集まって偶然生まれた、仮設(けせつ)された概念にすぎません。ましてストレスなど、錯覚以外の何物でもないのです。
こういう考え方をするのが仏教です。何もこの境地に行きましょうとは言いません。しかし、こういう受け止め方を本当にできる人がいたら、受けるストレスは驚くほど少ないと思うのです。
そして、大切なことですが、物事の受け止め方というものは、学習や訓練によって自力で変えていくことが出来るものです。