今日はちょっと個人的なストレスの話を書いてみようかなと思います。考え方の話です。

何で自分はこうなんだ!?

これを書いている現在、私は40歳でして、波こそありますが精神的にはかなり安定していると思っています。しかし、かつては酷いものでして、特に17~20歳頃は連日とんでもないストレスを感じて生活していました。一言でいえば「何で自分はこうなんだ!?」という状況です。

そんな私が心の拠り所にしていたのは、加藤諦三氏の書籍でした。正直、何冊読んだか覚えていないのですが、20~30冊くらいは読んだかもしれません(いや、もっとかも?)。当時よく大阪に出かけていまして、梅田の紀伊国屋に寄るたびに数冊買い込んでいました。

加藤氏の本はどれもそうですが、神経症に関して書かれています。つらいのはなぜか?それは神経症だからだ。神経症とは、自己評価が低すぎることから強い抑圧が生じて、物事の見方や態度にゆがみが出てくるものだ。その原因は幼少期にある。おおよそこのような内容だったと記憶しています。

こうした考え方を勉強しますと、次第に、自分で自分を分析できるようになります。あー、自分はこんな抑圧があるなーとか。あの時の経験のせいでこういう行動パターンになったんだなーとか。自分の問題点を見つけることが出来るようになりました。

原因が分かっても何も解決しない

ところがですね。困ったことに、自分がいま抱えているストレスって、どれだけ分析してもぜんぜん解決しないんです。ちょっとこれは衝撃ではありました。原因があれば解決策があってしかるべきだという「思い込み」があったんですね。でも、違ったんです。

例えば、「幼少期に親の愛情が足りなかったのが原因」と分かったとします。でも、それって時間をさかのぼって解決できるかって、できませんよね。ストレスに苦しんでいる原因が過去にあったとき、それに対して打てる手って出てこないんです。

それどころか、自分の問題点を探すことで、よけいに自分が苦しくなっていました。自己分析だと思ってやっていたことが、「だから自分はダメなんだ」というマイナスの思い込みを強くしてしまったようです。

問題を解決する必要がなくなる

そこから抜け出せたのは、伊藤守氏の本によってでした。

「自分は変えない、周りも変えない。かけている色眼鏡を変える。」

この発想。物の見方を変えるだけで、もう解決してる。ウソのようなホントの話。目からウロコという他ありませんでした。

今思えば、伊藤守氏の言葉はアドラー心理学や仏教の思想が入り混じっています。私はアドラー心理学も仏教も詳しくありませんが、入門的な本を読んでエッセンスだけでも考え方が変わるのを感じています。

私がアドラー心理学に触れたのは「嫌われる勇気」からでしたが、読んでいて「あれ、これどこかで?」という内容が多かったです。

仏教は飲茶氏の本の影響を受けています。史上最強の哲学入門という、かなりカジュアルですが、翻訳されて台湾の大学で教科書になっている本があります。その東洋思想版に出てくる般若心経の解説には強い影響を受けました。

色即是空。色(目に見えているもの)は空(実体のないもの)だ。苦しみがどこから生じるかといえば、物事の解釈からやってくるにすぎない。

結局のところ、ストレスはそれを感じる自分のあり方によって増えもすれば減りもする。なくそうとすると、よけいに苦しくなる。そういうものだと「腑に落ちた」わけです。

今の自分がストレスにあまり影響されずにいられるのは、これらの本から得た知識・考え方によるところがとても大きいと思っています。何かの参考になりましたら幸いです。
色眼鏡